最近知った「ブルシット・ジョブ」。
被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害である有償の雇用の形態である。
とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。
定義は、主観に依存している。
自分の仕事にBSJは一切ない、と心底思っている人はいないだろう。
「これ、必要なのか?」と思う仕事はあるが、「必要ないからやりません。」と言う勇気はなく、給料もらっているのだからやるしかないので、この仕事は業績に大きな影響を与えた、機会を提供した上司に感謝等、仕事に対する満足感を最大限の表現で賞賛するよう演じる。
おかしいと思いながら、日々の仕事をすることを許容するかどうか、その人の考え方次第だ。
会社の中で、最大のBSJ(客観的な目線なので当事者はBSJと思っているかどうかは不明)は、”プロジェクト”だ。
あちらこちらでプロジェクトが沸く。
会社の成長には改善が必要で、課題を特定する段階で絵にかいた餅を想定して発足し、外部コンサルの美しい資料が披露され、Excellent、Great job、で終了し、関わった社員は昇給・昇格する。
プロジェクトがゴールなので、その後の業務に何の影響もない。手順や関わる組織・人、費用が変わるだけで、成果物に何の変化もない。
それでも会社は存続する。
賞賛の言葉で埋め尽くされたイントラネットを見て、心の中で「BSJ]とつぶやきながら、賞賛の意をあらわす「いいね」を押す。「いいね」を押す作業もBSJだ。