家に求めるもの

渡辺篤史の建もの探訪や隣のスゴイ家を録画してまで観ているが、自分の家は全くオシャレではなく、設備が古い。音楽優先なので、音楽ときれいなキッチンやバスルームを手に入れるのは普通の会社人には無理だ。
テレビを観て、自分もそこに住んでるような妄想をして、実現できないストレスをやわらげているのかもしれない。
建物には、住む人の想いが詰まっている。子供のいる家族でも、子供、趣味、内装など優先するものが違って興味深い。インテリアや壁紙と家具の色使い、導線等はとても参考になる。同居家族が減った時、あの部屋は倉庫になるのだろうか、庭木が大きくなったら森みたいになって洗濯物が乾くのだろうか、鶯が鳴く自然に囲まれた快適な家だが、足腰弱って、もの忘れが始まったら、売るのだろうか、等と意地悪な妄想もする。
約20年前、家を購入することになり、手続きを進めたが、知人のローンや維持費等の話をきいて、キャンセルした。理想の家のために働いて得たお金がローンの金利に消えるのが納得できなかった。ローンを組んで家を買うらしいが、建築関係の会社や銀行が利益を得るために組まれた社会の仕組みで、あやうく乗せられるところであった。20年後の今、価格は上がっていたが、金利や管理費、修理費等を入れたら、儲けはなさそうだ。賃貸でも持ち家でも家は生活費なのだ。ケチなのでローンを組まないで、理想の賃貸を求め続けているが、ローンを組んで理想の家を手に入れ快適に暮らし、生活を満喫できるのは、すばらしいことだ。家に求めるものは人それぞれ、そこが興味深い。
人を観察することが好きなので、家も、観察する。家は、そこに住む”人”を反映している。