中学校からの友人と会った。
友人は今でも地元に住んでおり、中学や高校の同級生の近況を教えてくれる。
毎年、会う時に同級生の話をするが、名前と顔が一致しなくなってきた。名前は毎年インプットされるが、顔が思い出せなくなった。最近催された同窓会のような会合のfacebookを見たが、知らないオヤジとババアの集合でしかない。そのfacebookに載せている卒業アルバムの集合写真を見せてもらったが、名前はうっすら憶えているが顔の記憶はゼロに近い。
友人の昔話に、「そんなことがあったなぁ。」と事象は思い出すが、顔が全く思い出せない。
「顔と名前が一致しない」というのは、目の前にいる人の名前が思い出せないということで、目の前に対象者がいる場合である。同級生は目の前にいない、SNSで見る顔は老年期に差しかかった男女であるから、記憶を辿る状況が異なる。
見た目が重要視される多感な思春期にどこを見ていたのだろうかと、今になって愕然とした。部活や通学等で一緒にいる時間が長い人達は、連絡が途絶えて4半世紀経っても覚えているが、「同じクラス」程度の人は忘れている。
シニアの思春期の記憶はこんなものなのだろうか?
全力で記憶を呼び起こすよう脳細胞を働かせたのか、友人と別れた後、脳細胞が動いていない不思議な倦怠感があった。
海馬が「ここに記憶は保存されていません。これ以上、想い出せと信号を送ってくるな。」と活動を停止したのかもしれない。